『小和田哲男氏の講演』 南風学舎 ー校長室からー
18日(日)、NHK大河ドラマの時代考証で有名な小和田哲男先生の講演会に参加しました。小和田先生は静岡大学の名誉教授で戦国時代史・日本城郭史の第一人者の方です。まだ先週に、歴史の大好きな私は『戦国史を歩んだ道』という氏の自叙伝を読んだばかりでした。この講演は中村区の豊国神社の太閤祭の一環として、中村文化小劇場で行われました。私は豊国神社のご厚意で来賓席に座らせていただきました。氏の講演は学者らしい、深い学問の背景を感じることのできる、その中にも話題性やユーモア溢れる講演でした。あっという間に1時間が過ぎてしまいました。その後で河村名古屋市長と歴史対談がありました。
●講演の要旨 『秀吉のめざしたまちづくりー長浜・大坂・京都ー』
① 若き秀吉
秀吉の生まれをめぐる二つの説 天文6年(1537)2月6日
信長に仕える 天文23年(1554) 信長21才 秀吉18才
おねとの結婚 永禄4年(1561) 秀吉25才 おね14才
おねとの結婚により「木下」姓を名乗ることができた おねの母方の姓
秀吉の文書上の初見 永禄8年(1565) 木下藤吉郎秀吉として登場
信長家臣として出世 川並集(蜂須賀小六・前野将右衛門)墨俣一夜城
② 長浜城主となった秀吉
小谷城攻めをまかせられる 竹中半兵衛の役割 与力(秀吉の軍師となっていく) 浅井家臣団の説得
長浜城を築く 年貢を取らない 楽市楽座 減税
長浜城下町づくりとおねの「異見」 おねの異見(秀吉を諫める)を反映した政策 人の異見に耳を傾ける秀吉
③ 中国方面軍司令官としての姫路城へ
黒田官兵衛との出会い 播磨統一の責任者、備前・備中へ侵攻
本能寺の変と中国大返し 天下掌握の好機到来
賤ヶ岳の戦いと七本槍 加藤清正・福島正則ら子飼い家臣の活躍
④ 大坂城の築城と黒田官兵衛 短期間で大型プロジェクト
大坂城普請惣奉行 黒田官兵衛
信長の政策の継承 石山本願寺の跡地 惣構え 町を囲む大外郭土塁の建設
⑤ 関白秀吉の京都改造計画
聚楽第(じゅらくてい)の建設と惣構えの町づくり 「ー口」を設ける
兵農分離、身分制度の確立へ(近世城下町→近代・現代都市の原型へ)
⑥ 信長のすごさ
道路行政 (道を広げ、橋を架ける)
町づくり 那古野、小牧、岐阜、安土と町づくりを進める
楽市・楽座 今川氏・六角氏など他の戦国大名にも見られる