津島の達人への道② 弥生時代の津島は、海辺のムラでした。
津島市寺野町にある寺野遺跡(てらのいせき)は、このあたりを代表する弥生時代から古墳時代にかけての遺跡です。名鉄青塚駅の南側にあります。
今から2000年前の弥生時代には、寺野町のあたりにはムラが広がっていました。津島で一番古いと考えられている弥生時代の遺跡です。このあたりから、パレススタイルと呼ばれる大変美しい土器が出てきました。また、つり道具のおもりにあたるものも見つかっており、漁業が行われていたようです。ちょうど、弥生時代には寺野町のあたりまで、海が近くにあったようです。寺野は、米作りと魚つりを行うムラと考えられています。
この海岸に沿って、今から1400年前、道が広がっていきました。ちょうど今の名鉄津島線より北で、東西にのびる古い道ができました。この道は「海部の古道(あまのこどう)」と呼ばれました。この道の南北には、奈良時代から平安時代にかけて、多くの寺が造られました。寺野廃寺もその一つです。そのため、寺野のあたりからは布の模様が付いた古い瓦が出てきます。
江戸時代に地名を研究した津田正生(つだまさなり)という学者は「むかし17の寺があったという。明安寺(みょうあんじ)はそのあと」と書いています。実はそれよりもずっと前の奈良時代のはじめ頃(今から1300年前)、このあたりには寺野廃寺という大きなお寺があったことがわかっています。そのためか、明安寺には古い時代の仏像の頭が残っています。この仏像の頭は愛知県の指定文化財となっています。