『神野金之助と青樹英二』 (未来へのヨカッタプロジェクト)
5月20日(日)、津島市中央公民館で、海部津島青年会議所主催 『郷土の偉人に学ぶ 未来へのヨカッタプロジェクト』の第1部・歴史クロストークの講師を務めました。私は、海部津島地区の偉人3名(神野金之助・青樹英二・柴田才一郎)を取り上げました。熱い郷土への思いを伝えたつもりです。津南小の保護者の皆さんも多数参加して下さいました。また第2部・第3部では、参加者が自分の郷土への思いを灯ろうに書き、天王川丸池で灯ろう流し(光アート)を行いました。池に浮かんだ牛乳パックの灯ろう(光アート)はゆらゆらと揺れてとても綺麗でした。なお、歴史のクロストークの相手役を歌人の相原利沙さんが務めてくださいました。皆さんに感謝の1日となりました。
◇スライドのシナリオ解説について
◆『3名の方(柴田才一郎・神野金之助・青樹英二)を紹介して下さい』のスライド
○私のリスペクトする人物たち 氏名と職名
○ものづくり「愛知」、愛知の産業の礎を築いた3人
◆『では、早速一人目の柴田才一郎はどんな先生だったのですか』
○「毛織物王国」の発展を支えた教育者、天王川公園の片岡春吉の研究を応援した人物
◆『柴田才一郎の素晴らしさについて一言お願いします』
○片岡春吉、墨清太郎、そして柴田才一郎。この3人が揃って『毛織物王国』が
創られていった。
◆『海部津島が育んだビッグな実業家とありますが、次の2人の共通点についてお話下さい』
○「新田開発」というベンチャービジネス(地域総合開発)にチャレンジ
○その原点に「洪水」「河川」の恐ろしさ 豊かな水が牙をむく
◇『神野金之助についてお話をお願いして良いですか。浅井さんがこの人凄いと思う
ところを中心に話をお願いします』※ BGMをかけてほしい
○一言「総合開発計画を推進したビッグな大実業家。プロジェクトX 挑戦者たち」
◇『金之助はどんな子どもだったのですか』
○父母の教え、仏のやさしさに感謝し、志をたて、人生を切り拓いていった
◇『金之助の一生で忘れてはならないことは何ですか』
○郷土八開の人たちに土地を分け与えたこと 10反=1町 1反=10畝
○豊橋の神野新田を開発したこと まさにチャレンジャー 1戸に1反ずつ
○名古屋鉄道の社長となったこと
◇『なぜ金之助は田んぼを譲ったのですか』
○名古屋の仕事に全力投球したいと思った
○郷土八開の人たちの生活を豊かにするため
◇『なぜ新田開発にチャレンジしたと思いますか』
○新田開発の意義 明治16年、額田郡幸田町の沼地干拓 ※ 護岸観音堤防
○プロジェクトX 挑戦者による 総合開発計画 人造石 堤防づくり
神野新田 1100㌶ 東京ドーム 234個分の広さ
◇『青樹英二の一生について 一言で言って下さい』
○地域をビッグにした 郷土の発展に尽くした政治家・実業家
○県議会議長、衆議院議員、市江村長
○ベンチャービジネスにチャレンジ 新たなマーケット、雇用の創出、ビジネス
モデル(イノベーション)
◇『英二が子どもの頃に体験したことは』
○5回(7・10・11・12・23才)もの洪水経験と水屋への避難
○福束(ふくづか)輪中堤の決壊 大榑川堤防工事
○豊かな水が牙を向いた
○飛島村の海岸の新田開発
○津島紡績・尾西鉄道 明治26年
○不撓不屈は百難に勝つ
◇『英二はどんな思いで孫宝に排水機場をつくったのですか』
○蒸気機関を活用した排水機場(イギリスより3台)
○伊勢湾に排水
◇『その後、英二はどんなチャレンジを続けたのでしょうか』
○紡績、鉄道など当時のベンチャービジネスにチャレンジ
○鉄道産業の意義 交通産業の革命的な改革であった
※ プロジェクトx=無限のプロジェクトの可能性